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茶摘み方法と技術

茶樹の状況による手摘み方法と茶摘み技術の変遷

茶樹の状況による手摘み方法

茶も生長段階により摘む方法がいくらかあった。たとえば、開墾・改植後の茶摘み方法として、ヨノキでの摘み始めは園を横に広げるため「上を抑える」ように一番高い所の新芽を摘んだ。また「フクロメ(袋芽)は摘まない」。袋芽とは、芯になる枝から延びる各枝の付け根部分に出る芽のことで、この芽をしっかり育成することによって、しっかりした茶園に育つ。

また藤井家の茶摘みする茶園の順番は、ドウデン(日当たり良好)→ヨノキ→ホンノモト→トウゲ→センザイという順番だった。

茶摘み技術の変遷

左から、茶刈り鋏、
バッテリー式一人用カッター
茶摘みで雨の時に着けた笠と蓑。 寿美栄さんの手前にある籠が茶摘み籠。
立て掛けてある丸い籠に、赤ん坊だった長男を入れて茶園のフチに置き、茶摘みしたという。
竹箕と藤箕。
藤箕の方が古くから製茶中の茶の持ち運びに使われていた。
  1. 昭和13年、母から摘み方を教わる。「ツミツケ(新枝脇の芽)」を残して人差し指で上から3枚ほどのところを折る(折り摘み)。
    原山で静岡から指導員が来て、手刈り鋏の講習が行われた。船尾の池田幾二郎さんが鋏を売りに来た。
  2. 昭和15年、「両手摘み」の講習会があった。数本の新芽を揃え、左手の親指と人差し指の間に挟み右手でもぎ取る。出征された家に茶摘みの勤労奉仕に行く。
  3. 昭和18年、中尾園で鋏刈りをした。昭和16年頃から鋏刈りの家が多くなってきた。
  4. 昭和34~35年、一人刈りカッター(バッテリーで八木式と落合式)登場。
  5. 昭和52年、二人式茶刈り機、深刈り機、裾刈り機が登場。
  6. 大人は「賃摘み(日当)」で、小人は「貫摘み」だった。

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