茶園の開墾・改植
地形に対応した開墾方法
表「藤井宗助家の茶業年表」は、藤井家の茶園の名称・面積・茶摘みおよび製茶道具類・荒茶生産量を表わしている。以下は、ヨノキの開墾例である。
山間地の茶園開発(昭和18年・28年当時)
ヨノキ周辺の景観(新田より俯瞰)
昭和40年頃のヨノキの茶園
平成2年に山林に変換されたヨノキ。
植林した杉の下に茶樹が見える。(H24年撮影)
植林した杉の下に茶樹が見える。(H24年撮影)
- 木の伐採。木を倒す場所(多くは山頂に向かって)を定めてヨキ(鉈)でヨキ面を入れる。反対側を鋸で引き、思った方向に倒した。
- 切株をトグワで一つずつ掘り起こす。山は上に行くほど土が硬くなり、大変な手間が要った。
- 切株や根、木の小枝や草などを畑の隅にサラモッコ(皿畚)で運び、燃やす。
- 「掘り返し」をミツマタ(鍬)で行う。耕作すると所々で硬い土質の部分があり、それをトコと呼んだ。水はけをよくするために必ずトコを抜く作業をした。トコをミツマタで細かく砕いて土に混ぜ込む(掘り返し)。トコは白くて硬い痩せ土(花崗岩質)が多く、山土に混ぜ込むと水はけが良くなる。
- 掘り返しの土をさらに砕き、山肌にそってならす。鍬はヨツグワ。
- 茶の畝作り。田植え縄で「縄引き」をする。
- 土地は、傾斜(30度前後)+曲面なので、一番上の畝の線を基本として書いていくため、最初の縄引きでの上の線の引き方が肝心。
- その線の所々から、垂直にさしを当て1尺のところに印をしていき、その印をつなぐ。そうすると、土地に対して水平方向で、間隔が1尺の2本の線が表れる。
- その下の線から1間(約1.8m、その後2mに)ほど下に線を引く。この間隔が畝間となる。
- 6-Bの部分を、チョーノグワ(チョウナグワ)で溝を切る。この二筋の播き畝を「ミオトウネ(夫婦畝)」という。
- 種を蒔く。3月下旬に播いた。
- 藁掛け。種をまた畝に並行にいくらか藁を置いていく。芽が上がってきたら、そっと避けてやる。
水田の茶園化(昭和18~24年当時)
- タドコ(田床)に行き着くまで鍬で掘って、その土を全部畦に上げる。
- トコを破る。その土も畦に上げる。
- 青竹の笹枝を切り、モト(根側)とスエ(先)を交互にし、隙間なく並べる。
- 3に切った笹枝を置いていく。
- 3と4の作業を5回以上繰り返す。
- 1・2の畔の土を田の中に反していく。以降は山間地5~に同じ。
田や池は湿気の強い土地なので、茶園にする時には特に排水に気を付けなくてはいけない。池を茶園にしたときは、シケが強く、山水が流れ込んでこないように、茶園の横に細い溝を切った。ただ、暗渠などを入れるほどではなかった。
人力から機械へ
昭和34年のヨノキ開墾以降の大規模な土木工事は、主に改植となり、その際にはブルドーザーを使用するようになった。人力では、1反を開墾し茶園として整地するのに(農閑期の作業で)2年かかったところ、チェーンソーで茶樹を伐採後、ブルドーザーなら1日で2反分の根を起こせた。