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新茶の動向と碾茶生産

京都府では長年、茶農家と茶問屋の「アイタイ(相対取引)」が行われており、茶農家は茶商の希望するような茶を順次供給できるように努めていた。当町でも、山城・上狛の茶商との取引は今でも続いている。しかし徐々に、市場の需要・他産地との競合等で、より早い新茶が求められるようになってきたようだ。昭和50年前後からは、水稲の早植えが盛んになってきたこともあり、茶業のみならず稲作も行っている多くの農家では、春の整枝(春番茶)が、秋の整枝(秋番茶)にシフトしていったと考えられる。

また、近年は秋の整枝分が、「食べるお茶(粉末茶)」の需要の高まりから「秋碾茶」として製茶され、和束町は全国有数の碾茶の生産地となっている。藤井家でも平成6年には秋碾茶生産が見られる。「煎茶の和束」として長年宇治茶煎茶の生産のみを行ってきた当町は、煎茶に加え、碾茶生産という新たな茶生産の展開が見られる。

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