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品質向上の取組(茶園品評会とい製茶品評会)

京都府、山城各郡や各村において、茶園管理の徹底や啓発のための茶園品評会や製茶技術研鑽のための製茶品評会が行われるようになり、和束の茶生産者も多くの出品を行い、入賞を果たした。

大正9年(1920年)には、京都市岡崎公園で開催された全国勧業博覧会に湯船村から3名の出品があり、大正10年(1921年)開催の全国製茶品評会では湯船村並びに中和束村から入賞者がでた。

府の茶園品評会でも、湯船村を筆頭に東和束村、中和束村が出品し、優秀な成績を収めた。相楽郡では製茶大量品評会授与式が開催され(大正10年、1921年)、中和束村から入賞者が出た。同時に開催された相楽製茶品評会では、湯船村から進歩賞を受賞した。

特筆すべきは、湯船村と東和束村の動きである。いずれも品質の高い茶産地であったが、前者は従来の手揉み製法を追究し、後者は大量生産が可能な機械製茶の導入を積極的進めた。大正11年(1922年)に、湯船村では茶師の不足による品質低下を懸念し3日間の手揉み研修会を開催している。一方、東和束村では機械製茶による製茶大量品評会が行われた。

東和束村や中和束村では、茶の量産を行うため、府の方針に従い共同製茶工場の設立が進み、大正10年(1921年)には優良共同製茶場として中和束村の共同工場が表彰され、大正15年(1926年)には、東和束製茶組合が模範製茶組合として共同製茶奨励金200円を交付された。

湯船村は、その後の茶業研究所による調査でも分かることであるが、製茶品質が高く、煎茶の窒素濃度が和束の他村に比較して高い。窒素濃度は製茶技術というよりも肥料の投入量と密接な関係にあり、湯船村では、山林業などの複合経営により、それを可能とする資本力が背景にあったと考えられる。それ故、個人経営での高品質の茶づくりを追究したことで、茶業の共同化や経営の規模拡大が進まなかったのではないか。

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