茶を販売したのは、いつから?
「京都府相楽郡誌(大正9年)」には、「製茶は古来早く開けたるものの如し其旧記に見ゆる天正年間(1573~79)和束郷原山村の地に茶苗五段七畝歩を蒔付けたるを始とす爾来年を追ふて各地に伝播増加し之を番茶に製し自家の需要に供し来しが其後所々に焙炉を築き宇治より製茶師を雇聘し其伝習を受けて少量の茶を製造し之を宇治の茶商人に試売せしが利益多かりし為次第に農業の傍茶園を栽培するもの年を追ふて増加し嘉永年間(1848~53)には四千斤内外の茶を売却するを得たり。」と、安土桃山時代を始まりとして江戸時代末期の発展について述べている。鎌倉時代の慈心上人の播種から約250年間経過しているが、鎌倉時代の伝来が寺院での自家消費に過ぎないものであったと考えれば、天正年間には、面積57aから始めて、宇治に製造技術の指導を仰ぎ、商業生産を行う産業としての茶業が勃興したのであろう。ちなみに、嘉永年間の茶四千斤は、1斤を約600gとして換算すると約2400kgに相当し、これも推定であるが、1反あたりの生葉収量を約300kg、歩留まりを15%とすると、1反あたり45kgの荒茶が生産されることになる。その結果、茶四千斤を生産した茶園面積は、53反(5町7畝)となる。現代的には、専業農家1戸の茶業経営に相当する面積であるが、人力のみの時代には相当な大面積である。茶園という区画を持った園地のイメージではなく、住居の周辺や水田の畦、里山などに、たくさんの茶樹が点在していたと考えるべきかもしれない。