生産量で圧倒するも、品質が及ばず(明治30年~昭和初期)
明治後期より、和束は府内一の生産量を誇る煎茶産地となった、雑誌「京都茶業」には、「煎茶生産は、相楽郡と綴喜郡で京都府の95%を生産。明治20年代までは綴喜郡が第1位であったが、その後は相楽郡が第1位となり、和束の躍進が見える」と記載されている。
煎茶については、てん茶や玉露に特化した久世郡や宇治郡は別として、相楽郡は確実に綴喜郡の生産量を上回った。和束における増産が大きく寄与したのである。
しかし、煎茶単価(平均値)に目を移すと、他郡に比較して低価格であり、必ずしも高品質と言えなかった。生産者によっては、抜きんでて高価格の煎茶を生産する者もあったのだろうが、相楽郡各村は生産戸数が多く、面積も広く、茶の生産技術の浸透や平準化には至らず、山城他郡に比較し品質向上技術では後進の産地であった。