産地の原点は煎茶
「京都府地誌(明治14~17年)」によると、和束郷では原山、湯船の生産量が多く、明治初期には和束郷の主産地であった。また、同時代の茶種別の生産高からは、相楽郡は玉露や碾茶を生産せず、煎茶のみを生産する産地であった。碾茶の大部分は宇治郡、久世郡で生産され、玉露は、相楽郡以外の各郡で生産されていた。煎茶は山城の各郡で生産されていたが、注目したいのは、綴喜郡と相楽郡の生産量が共に多く、拮抗している。このことは、宇治田原と和束の拮抗と読み替えることができるのではないだろうか。
明治15年(1882)年南山城村4郡品種別生産高
合計高(t) | 玉露 | 煎茶 | 碾茶 | 番茶 | その他 | |
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相楽郡 | 452 | 0 | 323 | 0 | 129 | 0 |
宇治郡 | 189 | 36 | 111 | 6 | 35 | 0 |
久世郡 | 456 | 46 | 198 | 4 | 208 | 0 |
綴喜郡 | 509 | 46 | 316 | 1 | 185 | 2 |
出典:『京都府第1回勧業統計報告』より作成